in the future

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仕事(Web開発)していく中で感じた事とか、サッカーネタとか

保育園の反対運動による開園中止はしょうがないという話について

こんな記事をたまたま見かけたのでちょっと思うところを。

enter101.hatenablog.com

最近流行りの保育園問題です。

「日本死ね」からいっきに盛り上がった感のあるこの問題ですが
多分お子さんいる家庭なら誰しもぶつかったことがあるのではないかと。

 

毎回この手の話を聞くたびに思うのは
「保育園増やせって言うけど、どこに作るんだよ?」
というもの。
もう散々いろんなところで指摘されてる話なので
今更ここでいうような話でもないのですが。

 

東京で幼稚園を増やす?
そんな土地あるの?こんだけ人口密度高いのに?
そう思っている矢先のこの市川の問題です。

 

これを「しょうがない」と言ってしまうのであれば
はっきり言って都心部に保育園を作るのなんてもう無理だと思います。
誰にも文句言われずに保育園を作ることのできる土地なんて今の東京にないです。

 

なので結局のところは
「東京の人口密度を下げる」
しか打ち手はないと思うんですよね。
これ以上保育園増やすのは全然現実味がない。

 

そのためには「どこにいても同じように働ける」社会を作らなければいけないと思います。
IT業界に身を置くものとしては、真っ先にこれを推進しなきゃいけない。
別に東京にいる必要は全然ないんですよ。
必要なものは全部クラウド経由でどこでも触れるんだし
直接会わなくてもSlackとかSkypeとかいくらでもコミュニケーションは取れるし。

ただこれを推進するためには
どういう立ち位置でなにをしなくてはいけないのか、
それがまだ自分の中で整理しきれていないので
今年はこれを本格的に考えていきたいところですね。

 

ちなみにこの市川の例も他人事として捉えると
「子供の声くらいいいじゃないか」
と言いたくなるかもしれませんが、
ウチだって引っ越し先探すときに目の前が幼稚園だったら候補から外してました。
日中家にいると結構気になるほど声大きいんです。

ただ、もしも自分の家の目の前に出来るとしたら、それはしょうがないと思ってます。
今現在法律上では「環境権」ってまだ保障されてないですよね。
日照権は保障されてるけど、ちょっと子供の声がうるさいくらいで
裁判に勝つことはできないはず。
だから市川のケースも、そもそも反対する権利はなかったのでは、と思いますが。

 

ま、保育園が増えたり、地方に人が散ったりして
待機児童がゼロになったとしても
少子化は止まらないと思いますけどね。
結婚とか子供とか、具体的にイメージできる20代の人って少ないな、と思うし
そもそも避けてる30代の人も多いので。

子供がいたら遊べないっていう、よく分からない概念が滅びない限りは
保育園の数なんて関係ないんじゃないかな、と。
言葉を選ばずに言ってしまえば、
子供が成長していく楽しみに比べたら
子供がいなくてできる遊びなんてたかが知れてる、と個人的には思います。